料理は「作るだけ」ではない。

「今年はこの料理作れるかしら?」

 

作ろうと思えば作れるのが料理。

 

これを阻害しているものは、

作ろうと思えない心です。

 

そしてそれは大抵の場合、

 

「余裕のなさ」

 

例えば、この料理

「鶴首南瓜のすり流しと百合根生麩」

だしと鶴首南瓜の複雑な風味がたまらないお吸い物。
さらにゆり根の生麩を浮かべて。

 

鶴首南瓜を蒸して裏ごしし、だしと合わせて味付けをする。

そこに百合根の生麩を浮かべれば出来上がる。

 

言葉にすると簡単です(笑)

 

作るのは手間ですが、

そう難しくありません。

 

ですが、ご提供時の調理の手間を考えると「余裕がなくなる」のです。

 

タイミングを計ってご提供するのが難しい料理だからです。

 

料理は「作るだけ」ではありません。

 

場面があるものです。

 

相手がいるものです。

 

今、どんな場面設定にしたらご提供できるかしら?

 

こんな自問をしています。

 

問いは未完了を生む。

 

これって疲れることなのです。

 

ですが、これを

頭の隅にでも入れておけば、何かのきっかけに「ポン!」と答えが出たりします。

 

なので、

「今年はこの料理作れるかしら?」の答えは、

成り行きにおまかせ。

 

このくらいがいい。

 

答えなんか出てくるのを待っていればいい。

脳におまかせ。

これでいいのです。

 

無理して作った料理は、やはり無理して作った料理になります。

当たり前ですね。

 

自然にできた料理は、理屈抜きでおいしいのです。

 

p.s.

「鶴首南瓜のすり流しと百合根生麩」もひらめき料理です。

この時とっても重要なのが「技術」です。

 

八王子めじろ台・無添加割烹レストラン≪だしの和食 あじなお≫
店主 打味 直

 

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