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半年ぶりにアイヌ刺繍をして感じたこと

私にとって、アイヌ刺繍の良いところは、自分と向き合えるところ。

刺繍に必死で(笑)、慣れてくると夢中になって時を忘れます。

そして、先生?コーチ?の真喜子さんの存在がとても大きい。

先生?コーチ?と書きましたが、今どきの言葉で言うとファシリテーター(ウィキペディア参照)。「あたしなんて、ただいるだけ」なんておっしゃられますが、つまり存在だけで十分ということはすごいことです。

そして、先日、約半年ぶりのアイヌ刺繍教室。(いろいろとわけがあります^^)

そこでは、7月に店で行いたいと考えているイベントについての話をまずしました。

そして、妻とお互いに作っていたものを交換してイベントに使うという流れに。(すなわち、自分のために作っていたものが、私は妻のために作り、妻は私のためにつくってくれるという形になりました)

誰かのためにという意味では、以前もコースターをお客様のために作った(妻の手織りのコースターに私がアイヌ刺繍をしました)ことがありますが、不特定多数の「お客様のため」と目の前の「妻のため」ではまったく感覚が違いました。

相手のことを想い、こんな気持ちで何かを作る。
「こんな気持ち」は、どんな気持でもいい。自分のありのままのきもちであれば。
「何か」は何でもいい。自分の作りたいものであれば。
そこには純粋なものがあるだけで、求めたり、期待したり、苦心したり、頑張ったりとかいった余計なものが無い気がするのです。

そして、届ける対象が漠然にではなく確かに存在する。

アイヌの本来の精神に触れられたような感覚になりました。

妻や家族やカムイや自然を想いながら生きる、ということ。

そんな気持ちを大切にして。大事なことはすぐ忘れてしまうので、日記という形にしておこうと思いました。

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コースターもこんな気持ちで作るときっともっと「氣」の入ったものになるだろうな。
お客さまがいらっしゃる前から、ずーっと待っているような感覚。
「お待ちいたしておりました」という想いがより伝わるような心持ちになれます。
それは愛に限りなく近い感覚ではないかと思います。

あるだけですばらしいもの。
そこにはほかにはなにもいらない。

料理も同じだと思います。

素材と向き合う前に、自分と向き合っている自分がまず存在する。

そして、その素材と向き合うとき、農家さんの顔や畑、種まで見えてくる。

種は土に蒔かれ、大地とつながり、月、太陽、宇宙とつながる。

調理をしながら、味と向き合う。わたしの脳が「おいしい」と感じる前に体が「うれしい」と言ってくれる。

時には試食を妻として、「おいしい」を共有できるありがたさ。

「いまいち」(←こっちのほうが断然多いのですが^^;)や失敗を共有できることのほうが逆にうれしく思えたり。

こんな様々なプロセスや想いが世界となって、ひとつひとつの器、ひとつひとつの料理に凝縮されています。

届くといいな、と想いながら。

その時わたしは、宇宙とお客様をつなげるファシリテーターになってるのかもしれませんね。

自分と向き合い、そして同時に全てとつながるような感覚を大事に、意識して、自分の仕事を、生活を、生きるということを。

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