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作物だけが生命じゃない

稲刈りより2週間、久々の田んぼです。

水もない稲もない田んぼで何を想う。

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まず、見ておきたかったのは田んぼに生きている生命のその後。

はだかの田んぼから何かを感じられると思ったから。

無肥料でやっている限り、そこを見ることが収量につながるはずだし、それが自分哲学になるはず。

 

本当は土の中を見たいけれど、見れないものね。

低い草が水のない田んぼを覆っているという現状から何を感じるのか。

 

稲が刈られると地上の他の生物がほんとうにいなくなる。これがひとつ。

そして田んぼそれぞれ、また同じ田んぼでも場所によって生きている植物が違う。 これがもうひとつ。

つまり地上では「いる意味のない場所には興味ないよ」なのか「ここは居心地悪いよ」なのかは知らないけれど、小動物が消えるということ。

また地下では、見えないけれど様々な生命活動が営まれている結果、植物にとって自然な有機肥料となっている→植物が生きている

→しかし各々の土の状態に違いがある→ゆえに植物の生え方が違う、と推定する。

そこで、「自分が生きるために何をすれば田んぼに良い結果をもたらすか」を考え、生きていくための課題とする。

来年のために。

 

(もちろんお金で解決してもいいんですよ)

 

本を読めばある程度の理屈と知識が身につくけれど、実体験からの実感こそが生き力になるとぼくは思う。

強く思う。

遠回りした方が良い場合があることを、経験上知っているのだ。

 

稲は刈り取られた後も生きている。

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生命とはそういうものなのだと痛感させられる。

無肥料の土地で、生命の循環で、土という具体的生物でないものが生きているから草も稲も生き続ける。

私たちは栄養だけで生きているのではないことはわかっている。

ガソリンで動く車ではないのだ。

やはり生命をいただいて、意志で生きているのだと実感する。

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