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たねがあぶない!なぜタネなのか?~シェアするたねのプロジェクト「ShareSeeds」について~

私たちはいま、すばらしい時代を生きています。

すべてに感謝しながら、大いに喜んで、楽しくてしかたない人生を生きています。

私は、自分がやりたいと思うことを思う存分にやり、大いに笑い、時には大いに泣きながら日々を過ごしています。

私は生きるために、食べ、ます。

生きることそのものが目的でもあるのですが、ただ生きていてもおそらくおもしろくないので、楽しく、心が躍るよう、充実し、弾けるよう生きる工夫を、自然と行っているようです。

おいしく食べます。体が喜ぶよう工夫して食べます。

あまりにも便利すぎる世の中なので、できるだけ身の丈にあったものを食べるよう心がけます。

身近にあるものを食べます。安心なものを食べます。

あまりにもいい加減に生きてきた私たちは、あまりにもいいかげんな物が世にあふれているのが当たり前になり、それをさも当然のように食べ、生きていました。

わたしは安心なものを手に入れるための、もっともわかりやすい方法として、「自分で作る」という選択をしました。

一昨年から、自然農を学び、少しづつ畑を実践し、昨年は田んぼの研修に参加し、今年は畑と田んぼの両方の実践をしています。

この食から農への道の途中に様々な発見、気付きがありました。大切と思うことを拾っては学ぶ、そんな日々が続いています。

私たちは植物がなければ生きていけません。

今、さわやかでおだやかな季節の中、新緑が芽吹き、力強く成長しています。彼らは自分自身のために育ち、花を咲かせ、実をつけ、次の世代につながります。

そして、はるか昔から続いてきたように、それをひたすら繰り返し循環していきます。

太陽も、お月様も、みんなずーっとまわりつづけています。

わたしたちのために。

無限の生命が自分の生命を生き、お互いを支え合うようにつながっています。生命は自分のため。だけではなくすべてのためにあるのだと思うのです。

だから、「遺伝子組み換え」や「雄性不稔」を使った、あまりにも自分だけに都合が良く、他者に対する配慮のない、心にやさしさのない行為は、結局自分に返ってくると思うのです。

わたしは自分が不幸になる、人類が不幸になるであろうことを黙認したり、それに甘んじたりするヒトではないようです。

わたしたちは自然に対してもっと感謝しなくてはいけないのではないでしょうか?

わたしたちは植物をもっと愛さなければいけないのではないでしょうか?

わたしたちは失う前に気付かなければなりません。

たねの偉大さに。

わたしたちの手からたねがなくなったら、わたしたちは生きていけません。(奴隷としてなら生きていけるかもしれませんが、それを望む人なんているのかしら?)

わたしたちは地道に活動していますが、より多くの仲間を探しています。

分断されたものを取り戻し、また再び手を結び合えるように声を出します。

たねを通じて、様々なつながりと共有ができます。だからたねに感謝です。

たねに愛を注ぐ行動ですから、たねはわたしたちに愛をくださいます。それでわたしたちはすばらしい人生を、愉快に生きていくのだろうと思います。

ちょっとたねに気付いてみませんか?

「Share Seeds(シェアするたねのプロジェクト)」

 

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